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善と幸福

Mat 13:44   天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。 Ecc 11:1   あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。 1.イエス・キリスト様は、聖書の言葉を信じて実行する人が繁栄するために、私たちの罪のために十字架にかかって死なれ、三日目に復活されました。 2.聖書は、私たちが繁栄するための宝が隠されている畑のようなものです。宝とは、もちろん金銭や宝石、また、あらゆるこの世的な富のようなものばかりではありません。 本当の宝は人間として、家族として、自分の所属する組織の一員として、幸福を得るために神様から来る知恵、思いがけない助け、温かい人間関係など、様々な資産のようなものです。 目に見える宝を本当の幸福よりも優先すると、本当の幸福を得ることはできません。多くの人は、幸福は目に見える金銭や財産にかかっていると勘違いして、本当の幸福を得られなくなっています。  神様の原則を守って生きるなら、前述の様々な助けがあります。 3.聖書の原則によれば、私たちが成功する秘訣は、日ごろ、善をおこなう事を心がける事です。それは、何かの計画をするよりも重要なことです。 イエス様は、この世の末には人々の心が冷えて不法がはびこると言われました。 私たちは、あたかもこの世で自分一人しかいないように考えて、他人の事を考えないで、思いやりのない生き方をすることは神様の望んでおられる事ではありません。そういう生き方は結局自分を幸福にすることはできないのです。 私たちがこの世でよりよく生きるためには、私たち自身が、何か善をしようという心がけが大切です。( ヤコブ4章13‐17節)  

神様は私の友人(クリニック礼拝No1)

  恵みの時 わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。神はこう言われる、「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救いの日にあなたを助けた。」見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日である。 第二コリント6章1、2節   生れながらの人は、神様を知っているでしょうか。 また、生まれながらの人は、神様に喜ばれているでしょうか。 どうしたら、自分は神様を知っているか、また、神様に知られているかがわかるでしょうか?   それは、自分にこう聞いてみるとわかります。 自分は、神様に何でも聞いてみることができるでしょうか? 何でも神様に頼むことができるでしょうか。 両親や、仲の良い友人に願い事をするように、神様に願い事をして、聞いていただいているでしょうか? 私は、何かをなくすと、たとえば、財布をなくしたり、・・私の財布は、お金はあまり入っていないのですが、自分と、教会関係(会計用の様々な通帳に対応した)キャッシュカードが2,3枚も入っています。VISAのクレジットカードも4,5枚あります。免許証もあり、様々な証明書(印鑑証明、住基カード等)が入っています。なくしたら、えらいことです。それでも、どこの銀行のクレジットカードなのかさえ、覚えていません。 でも、年に2,3回どっかに行ってしまって、数日間出てこないことがあります。そのような時には、あせりを感じながら、一生懸命に祈って捜します。そして出てくるのです。 そして、神様に対して、「ハレルヤ!主よ、感謝します。」と言うのです。 ある宣教師も、財布、小切手、外国人ビザ、・・ある日はロサンエジェルス空港に忘れてきたので、関空の拘置所に一晩入れられたそうですが、・・・が入っているポシェットをよく忘れます。そして、周りの人がはらはらして、一生懸命祈って見つけます。以前、教会のキャンプで遠くに行った時、どこかに忘れてしまいました。みんなで一生懸命祈ったら、どうやらコンビニだと思いだして、電話すると、ちゃんとありました。                このように、神様との間に和解ができていて、平和な状態なら...

神の無限性とそれを表す宇宙

宇宙の存在と神 聖書の神には、定義として使えない言葉がある。それは、最大という言葉と、限界という言葉である。神はあらゆることで無限infinity であって、神に関する全ての物事は測定ができない 宇宙の大きさについて考えてみよう。宇宙は約140億年前に起こったビッグバンから始まった。 たとえば宇宙の元になる物質が最大で光速で飛び離れたとすると、宇宙の大きさは、最大で半径140億光年の球体である。 また、宇宙に存在する星の数は、一説では1000兆、他では一つに3000億の星を包含する銀河星雲が二兆個である。 宇宙を舞台にした多くのサイエンス小説や映画があるが、ほとんどは一つの銀河の中の、幾つかの星が舞台となっている。何千億個、何兆個の星をテーマにした小説や映画などは、この世のホコリより小さくて虚しい存在である人間にできるはずもない。 此のような数は、想像を絶する、というよりも、もはや私たちには馬鹿げた、自分にとって考える意味のない数字である。 しかし神にとっては、神にとっては、6000兆以上の星の一つ一つに特別な意味がある。神は存在意味のない物は一切造らないのである。別章で考証するが、神が数千兆の星の一つ一つを完全に掌握しているといっても、汎神論について述べているのではない。 数千兆の星に何かの人格や意志があるのではなく、ただ神が、御自分が創造された数千兆の一つ一つ星の極細部に至るまでの情報を持ち、御自分の思い通りにある星を新しく作られ、ある星は破壊して宇宙のチリにされる。 神はそれを通して我々人類に神の恐るべき力と我々人類のあまりにも惨めで、神の世界に住む資格などは全くないことを思い知らされるのである。