神様は私の友人(クリニック礼拝No1)
恵みの時
わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。神はこう言われる、「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救いの日にあなたを助けた。」見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日である。
第二コリント6章1、2節
生れながらの人は、神様を知っているでしょうか。
また、生まれながらの人は、神様に喜ばれているでしょうか。
どうしたら、自分は神様を知っているか、また、神様に知られているかがわかるでしょうか?
それは、自分にこう聞いてみるとわかります。
自分は、神様に何でも聞いてみることができるでしょうか?
何でも神様に頼むことができるでしょうか。
両親や、仲の良い友人に願い事をするように、神様に願い事をして、聞いていただいているでしょうか?
私は、何かをなくすと、たとえば、財布をなくしたり、・・私の財布は、お金はあまり入っていないのですが、自分と、教会関係(会計用の様々な通帳に対応した)キャッシュカードが2,3枚も入っています。VISAのクレジットカードも4,5枚あります。免許証もあり、様々な証明書(印鑑証明、住基カード等)が入っています。なくしたら、えらいことです。それでも、どこの銀行のクレジットカードなのかさえ、覚えていません。
でも、年に2,3回どっかに行ってしまって、数日間出てこないことがあります。そのような時には、あせりを感じながら、一生懸命に祈って捜します。そして出てくるのです。
そして、神様に対して、「ハレルヤ!主よ、感謝します。」と言うのです。
ある宣教師も、財布、小切手、外国人ビザ、・・ある日はロサンエジェルス空港に忘れてきたので、関空の拘置所に一晩入れられたそうですが、・・・が入っているポシェットをよく忘れます。そして、周りの人がはらはらして、一生懸命祈って見つけます。以前、教会のキャンプで遠くに行った時、どこかに忘れてしまいました。みんなで一生懸命祈ったら、どうやらコンビニだと思いだして、電話すると、ちゃんとありました。
最も大きな助けは、死からの救いです。どんな人でも、「私はキリストを信じます。主よ、私を救ってください」と祈るなら、神様は喜んでその人を死から救い、天国に迎えてくださいます。もちろん、肉体の死はあるのですが、復活の約束と確信があるので、平安をもって、この人生を終わらせることができます。
どうして、全能者であり、全てのものの造り主である神様と、このような素晴らしい交わりができるのでしょうか。それは、イエス・キリストの十字架の上で流された血潮によって、私たちの罪が清められ、神様の子として受け入れてくださるからです。
神様は、もともと私たちを愛してくださっていますが、私たちの罪が邪魔をして、神様と喜びの交わりができないのです。しかし、信じるなら、全ての罪が赦されて、神様と親子の関係を持ち、喜んで交わりを持つことができるのです。
期間限定:聖書は、「今は恵みの時、今は救いの日である」と言っています。この救いは、神様が教会を通して福音が伝えられる今だけ許されている特権なのです。
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