パブリックコミットメント(トラウマへの対処法)クリニック礼拝2
4:6 何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
苦境の時にトラウマにならない方法
トラウマ
人は、強い苦境に会うと、その心理的な苦しさから抜けられなくなり、その影響で視野が狭くなり、さらに失敗を犯す危険性が強くなる。
内藤氏(心理学者)によると、
「人間の物理的な視野は、悲観的になるほど狭くなる
落ち込んでいる人ほど視野が狭くなるので、電柱にぶつかったり交通事故に遭ったりしやすくなる。
という悪循環に陥る
トラウマ心的外傷(しんてきがいしょう、英語: psychological trauma、トラウマ)とは、外的内的要因による衝撃的な肉体的、精神的な衝撃を受けた事で、長い間それにとらわれてしまう状態で、また否定的な影響を持っていることを指す。心的外傷となるような体験を、外傷体験(traumatic experience)という。
笑って楽しい気分になれば視野が広がり、普段気付かないことにも気付くようになる。アイデアも湧き出すし、ビジネスチャンスも見つかり易くなる。(上述内藤氏)
神様は、人間が落ち込むことを願っておられない。イエス・キリストは、落ち込んだ私たち人間の罪を赦し、苦難から救うためにこの世に来て下さり、十字架にかかって死んで下さった。
聖書の心の整理の仕方
パウロは、人が困難にあった時に、悲観的にならず、冷静に、客観的に状況を判断して困難を切り抜けるために、イエス・キリストに頼るべきだと勧めている。
その方法は、「喜び」「感謝」「祈り」「願い」の4つである。
Php 3:1 最後に、わたしの兄弟たちよ。主にあって喜びなさい。さきに書いたのと同じことをここで繰り返すが、それは、わたしには煩らわしいことではなく、あなたがたには安全なことになる。
(1)「喜び」
Php 4:4 あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。
4:6 何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
意外な事であるが、クリスチャンの問題解決のために、第一にしなければならないことは、主なる神、主なるキリスト・イエスを信じていることを思い起こして単純に喜ぶことである。
もちろん、主なる神、主なるイエス・キリストを信じているクリスチャンだけができることである。
クリスチャンと自称し、自覚している人は、必ず、この方法を取らなければならない。
このことによって、クリスチャンの心は次の失敗に対する恐れと不安から引き上げられる。
(2)次に、「感謝」をすることである。
「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」ローマ10:11
それは、主なる神、主なるイエス・キリストは、自分を絶望に追い込むことは決してないという信仰と希望によるものである。事実、クリスチャンは、そのような経験をしているはずである。
(3)「祈り」
祈りは、「祈り心」という言葉のとおり、神に対する期待を込めた心を持ち続けることである。これは、「喜び」「感謝」と共に、次の「願い」を後押しするものであり、また、「願い」を強くするの土台でもある。
(4)最後に「願い」である。
願いをする・・打ち明ける相手を持って、その相手に打ち明けることであるが、当然打ち明ける相手を持っていなければならない。
クリスチャンは、主なる神、主なるイエス・キリストという、悩みを打ち明ける明確な相手がいる。
イザヤ書では、その方をワンダフルカウンセラー(英語)と呼んでいる。
人は、主なる神、主なるイエス・キリストを信じるならば、上記の「喜び」「感謝」「祈り」「願い」という手順を踏んで対処する・・これが「信仰」である。・・ならば、必ず最高の結果を得ることができる。
パブリックコミットメント
公性のある発言。その発言・宣言には自己拘束力(束縛力)がある。自分の意志から発言したこと、自分の意志で宣言したと思い込んでいること、それには一貫性の原理というものがあり、宣言したことがウソにならないよう保とうとする。禁煙宣言する際にも、自己の内面に約束(私的約束)するのか、友達、家族、医師、メディアに約束(公的約束)するのかでは、意志の保たれ方(意志の強度)が異なる。
Psa_65:3 祈を聞かれる方よ、すべての肉なる者は罪のゆえにあなたに来る。われらのとががわれらに打ち勝つとき、あなたはこれをゆるされる。
Isa_30:19 シオンにおり、エルサレムに住む民よ、あなたはもはや泣くことはない。主はあなたの呼ばわる声に応じて、必ずあなたに恵みを施される。主がそれを聞かれるとき、直ちに答えられる。
クリスチャンが上記のような手順を踏んで主なる神、主なるイエス・キリストに問題を打ち明けるならば、その問題の解決を神がして下さるというより強い信仰を持ち続ける動機となり、神からの答を期待し、実際にその答えを受けることができる。
なぜなら、神は生きておられ、祈りに答えるからである。
問題を以上のように実行するならば、主なる神、主なるイエス・キリストに対するパブリックコミットメントをしているのと同様なこととなる。
そうすることは、主なる神、そして、主なるイエス・キリストに対して明白な信仰告白をすることである。そうすることによって、信仰は具体的で強いものになり、神の答を強く期待しつつ待つようになる。
また、この結果は、本人にとっても、周囲の未信者にとっても、神が存在するという強力な証しとなる。クリスチャンの信仰は強められ、未信者たちは神の存在を意識するようになる。
最後に、「何事も思い煩ってはならない。」と最初に勧められている。
「思い煩ってはならない」という言葉について、ペテロ前書5章7節では、「思い煩い」をいっさい神にゆだねよ」いう方法を取るように命じている。「ゆだねる」いうという言葉は、ギリシャ語で言えば、「エピッリップト」であり、その思い煩いの内容を主なる神、主なるイエス・キリストに放り投げ捨てよ、という意味である。
1Pe 5:7 神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。
主なる神、主なるイエス・キリストを信じているクリスチャンは、以上の方法をもって悩みに勝利し、この世においていかなる不安も悩みにも動じない人生を送ることができる。
また、主なる神、主なるイエス・キリストを今だ信じていない人も、主なる神が遣わされた主なるイエス・キリストを信じることによってこの世の悩みに打ち勝つことができるようになる。
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